酒見悠介| ヒトの脳に学びつつ“超省エネな人工知能”の開発を目指す研究者
デジタルトランスフォーメーション(DX)に代表されるように、世間では “デジタル化” が推し進められている一方で、人工知能のアナログ化による “省エネなAI” の開発に取り組んでいる研究者がいます。今回は、人間の脳内で起こっていることを数学的に再現するアプローチで上記の課題に挑んでいる、千葉工業大学 数理工学研究センターの酒見悠介さんをご紹介します。
酒見 悠介
YUSUKE SAKEMI
千葉工業大学 数理工学研究センター 上席研究員。東京大学大学院 理学系研究科 物理学専攻 博士課程修了、博士 (理学)を取得。その後、国内大手電気メーカーで省エネAIの研究をスタートさせ、2022年より現職。
人間の脳の機能をヒントに、省エネ性と高い認識能力を両立するAIの構築を目指す
ーー 現在取り組んでいる研究の概要を教えてください。
人工知能、いわゆるAIの消費エネルギーを下げるための研究を行っています。最近のAIはモデルの大規模化が進んでいて、1つの予測結果や判定結果を導き出すために何度も何度も計算を行う必要があるんです。計算をたくさん行うということは、それだけ大量のエネルギー電力、もっと言うと “お金” が必要になるということです。私の研究は、そういったAIの消費エネルギーの問題を、人間の脳の知見を活用することで解決することを目指しています。
ーー 実際のところ、AIはどれくらいの電力を消費しているんでしょうか?
もちろんAIの種類によって大きく異なりますが、有名どころで言うと、世界トップ棋士に勝利した囲碁AIである「AlphaGo」の消費電力は30万Wと言われています。一方で、人間の脳の消費電力はわずか20Wです。つまり、AlphaGoは人間の1万5000倍のエネルギーを使っていることになります。
ーー そんなにも違うんですね… AlphaGoに敗れたとはいえ、人間の脳のエネルギー効率の良さにびっくりしました。
そうなんです。生物は常に飢餓のリスクに晒されているので、消費エネルギーを極力少なくする方向に進化してきたはずです。私の研究もまさに、脳の「高いエネルギー効率」と「高い推論能力」を、どうやって同時に実現するかに焦点を当てたものになっています。
ーー どうしたら人間の脳のような高いエネルギー効率が実現できるのでしょうか?
人間の脳のように動作する脳型コンピュータを作るのです。脳型コンピュータには面白い特徴が二つあって、一つ目はアナログ回路でできている点です。もう一つは、脳の計算原理を基に動いている点です。
まず、一つ目のアナログ回路についてなんですけど、現在のコンピュータはすべてデジタル回路で作られています。デジタル回路とは情報を「0」か「1」で表現して動く回路です。一方で、アナログ回路は、情報を電圧値などの連続値を使って動く回路です。最近はデジタル化、デジタルトランスフォーメーションなど、とにかく「デジタル」が注目されていますが、実はAIの計算においては「アナログ」が最先端なのです。
ーー アナログ化がAIの消費電力削減の重要なポイントというのは驚きです! なぜアナログ回路がいいのでしょうか?
デジタル回路は、情報を保存するメモリと、計算を実行するプロセッサで構成されているのですが、AIを計算するときには、AIモデルの情報をメモリからプロセッサに移動させるときに大部分のエネルギーが消費されてしまいます。これはフォン・ノイマン・ボトルネックとして知られています。
一方で、脳型コンピュータでは、AI計算をするアナログ回路が、モデルそのものであるので、余分な情報の移動はなく、エネルギー効率が飛躍的に向上するのです。
ーー なるほど、アナログ回路には明確なメリットがあるのですね! それでは、二つ目のポイントである脳の計算原理について教えてもらえますか?
はい、さきほどのアナログ回路なんですけど、実は扱いがめちゃくちゃ難しいんです。設計通りに動かず、ノイズまみれで動作信頼性に欠けます。いままでアナログコンピュータが使われてこなかった原因がそこにあります。
一方で、脳はアナログ的な動作を完璧に実現させているんです。これは、本当に凄いことです。なので、脳の計算原理に倣えば、高い信頼性をもつ脳型コンピュータが作れると考えています。
ーー 脳の計算原理って例えばどんな感じに動くのですか?
ここが脳型コンピューティングの最も難しくて、最も面白いところなんです。実は、脳の計算原理ってほとんどわかっていないんですよね。様々な脳のモデルは打ち出されていますが、脳の理解にはまだまだ遠いのが現状です。これは、脳が複雑だということもありますが、脳の活動を測定するのがとても難しいからなんです。
ですが、単一ニューロンの動作や、小規模なネットワークの動きとかは、かなりわかってきています。よく知られているものとして、ニューロンはスパイクと呼ばれる短い電気パルスで情報のやりとりをしています。このような知識を活用することで脳型コンピュータを作っています。
ーー とすると、脳科学の発展が酒見さんの研究にも関わっているわけですね。
そうですね。最近は、神経科学とAIの境界も不鮮明になってきているので、分野を超えたアプローチがとても重要だと感じています。
ーー あくまで脳の機能をヒントに、社会的価値を生み出そうとされているんですね! これからの研究の発展が楽しみです!
研究はガチャと同じ? 不確実な中で成功を積み重ねていくのが研究の醍醐味
ーー 研究者を志そうと思ったきっかけはなんだったのでしょうか?
とくに強く願ったことはないのですが、子供のころから一番興味が向いていたのは自然の仕組みだったので、自然な成り行きな気がします。とはいえ、今研究者としていられているのは運が良かったからですね。企業でも研究が続けられたのは本当に幸運でした。
元々は理論物理学をやりたかったんですが、応用先がなかなか想像できない研究ではあまりモチベーションが上がらなかったのと、実際の物理現象を手で扱ってみたくなり、大学院からは実験物理学を専攻しました。博士課程を卒業した後は、また新しいことをしたくなってノープランで企業の研究所に入りました。そこで偶然、脳型コンピュータを作るニューロモルフィック・エンジニアリングという分野に出会って、今では「これは人生かけてやってもいいかな」と感じています。
ーー 研究を進める上で大切にしていることはなんでしょうか?
体力と……という話ではないですよね (笑)。難しいですが、最近では、人との出会いを大切にしています。企業に入ったとき、物理学から離れ、一から再スタートだったのですが、そこから恩師や師匠と呼べるような方々に出会うことができて、いまの研究の形ができました。大学に移ってまだ一年ですが、共同研究が複数立ち上がったり、友人ができたりと、充実した研究生活を送ることができています。
あとは損切りですね! うまくいかないと思ったものは早くやめて、次に行く、と言うことですね。
ーー 研究を進めていく上で、モチベーションになること、楽しいことを教えてください。
企業でも割と自由だったのですが、大学に移って、より自由に研究ができるようになり、毎日楽しく過ごしています。楽しいのが一番のモチベーションです。
あとは、追い詰められたときに起死回生のアイデアが浮かんだりしたときですね。早く試したい!と、はやる気持ちで、実際にそのアルゴリズムがうまく動いてくれるととても嬉しいです。やったことはないのですが、生活費を使ってガチャを回しているような感じでしょうか。
ーー ガチャと研究がつながるとは思ってもいませんでした (笑)
毎回うまくいくとわかっていたら、そこまで嬉しくないですよね。程よい不確定性があるが故に、成功したときに幸せな気持ちになれるんです。一喜一憂するのもいい刺激です。こういった不確実性は神経科学的にも学習に大きく関わってくると知られているので、本能的なものなんでしょうね。
ーー 逆に、研究を進める上で難しいと思うことはありますか?
AIの研究発展は異常なほど早いですし、半導体産業は政治に大きく左右されます。今までは目の前の研究で成果を出すことに集中しがちでしたが、これからは異なる分野の研究や社会にも目を向けつつ、研究の方向をダイナミックに修正していけるようになりたいです。
あと、研究の中身に関してなんですが、私のテーマは、AIの数理的な研究と、集積回路を設計する実学的な研究の両輪で進めています。特に集積回路に難しさを感じていて、教科書に載っていないノウハウが多くて一人で進めるには限界があります。そういった2つの異なる技術を繋げるのが思ったよりも大変です。
ーー ソフト的な領域とハード的な領域の両方をカバーする必要があるんですね。
そうですね。前に、数理的に都合のいい回路を設計して、回路の専門家に見てもらったのですが、「全然ダメだよ」と言われたことがあります。なので、今は2つとも自分でやるようにしています。
ーー 研究を進める中での一番の失敗を教えていただけますか?
去年の2月に、いい感じのアルゴリズムを思いついて2ヶ月くらい検証したんですが、いい結果が出ていたのはデータセットの特殊な性質によるもので、要はたまたまだった、ということがありました。頂いていた研究資金との関連もあって、かなり焦りました。
ーー お仕事あるあるですね (笑) 研究でもそういうこともあるんですね。
そうですね。その時は、すぱっと諦めて、全く新しいアイデアを思いつくことができました。失敗は強制的に他のことをしっかり考える機会になるので、いい胃の痛みだと思っています (笑)。
ーー 研究の今後の展望について教えてください。
これまではアルゴリズム中心の研究をやってきていて、机上ではうまくいくというとこまでわかってきました。今後は、それがアナログ集積回路上でも実際にうまくいくか実証して、その結果を元にアルゴリズムを改善するというような、いい研究のサイクルを回していきたいです。
ーー 今後のご活躍を楽しみにしています! 本日はありがとうございました!
この記事を書いたのは